ちいさな夢

最近ちいさな夢ができた。
「おばあちゃんになったらお味噌汁をふるまいながら子どもたちの話をうんうんって聞く寮母さんになりたい」

そんな夢ができたから、ずーっと眺めるだけだった「みそ汁はおかずです」の本を片手に味噌汁づくりを楽しむようになった。

なんにもしゃべりたくなくてもお味噌汁飲んでたら身体もこころもあったかくなってぽつぽつ言葉が出てきたり、涙がでてきたり。学校帰りや仕事帰りに”あ、今日行きたい”って思って来てくれるそんな空間にいるおばあちゃんになりたいなあって。

そんなこと考えてたら、幼稚園のときにいたシスターを思い出した。

わたしの幼稚園はカトリックでマリア様の像の横に園長先生ー”シスター”ーが立っていて毎朝、玄関で迎えてくれていた。わたしは彼女が好きだった。お母さんと離れたくなくて入園したての時は今も覚えているくらい毎日めちゃくちゃ泣いて、この頃”仮病”ー幼稚園が近づくとお腹が痛くなってくるーを使う技も身につけた。年長さん、年中さん、年少さんのいる”縦割りクラス”にやっと慣れてきたと思ったら、年少さんだけワサワサいる”横割りクラス”なんていうのも始まって。新しい環境があまりにも苦痛だったから(なんであんなに嫌だったんだろう)泣いてボイコットしたりした。

そんなときシスターが”こっちにおいで”と言って、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになってるわたしを小さいキッチンに招いてくれた。

「ぶどうはこうやって皮をとるの」

お手本を見せながらシスターはわたしの横に並んでぶどうの皮むきを教えてくれた。なんのためのぶどうだったのか、そのあと食べた覚えもないし、シスターと最初以外話した覚えもない。ただふたりで黙々とぶどうの皮をむきつづけた。次第に心も落ち着いて涙もとまる。わたしにとってはその時間と空間がオアシスだった。

しばらく経ってからは”横割りクラス”にも楽しく出るようになった覚えがあるので最初の何ヶ月かだったのだと思う。

「大丈夫、大丈夫」

ことばにはしなかったけどシスターが包み込んでくれた空間は安心感であふれていた。

“みそは「包容力」のある調味料なんです”ー本の1ページ目に書いてある。今日はなに作ろうかな。

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